阪急千里線 神崎川橋梁撤去へ 橋脚のみに
昨年11月に線路切り替えで役目を終えた旧神崎川橋梁ですが、3月に確認したところ鉄橋が撤去されていました。残るは橋脚のみとなっており、明治時代に作られたレンガ造りの橋脚も一部が解体されています。
前回:
撤去された神崎川橋梁(手前) プレートガーダー橋の一部を残して途切れています。奥にあるのが十三駅高架化工事に伴い架けられた仮神崎川橋梁です。いずれは仮鉄橋もなくなります。
橋脚の撤去も進んでいます。すでに吹田寄りの3つの橋脚が下の方を残して無くなっていました。
この神崎川橋梁の歴史は古く、作られたのはなんと1876年(明治9年)、元は国鉄の東海道線・吹田~大阪で使われていました。現存する橋脚の中で円柱型のものが明治時代に作られた貴重なレンガ橋脚です。(鉄橋部分は作り替えられています)
隣では水上クレーンを用いて、レンガ橋脚の周りに足場を組む作業が行われていました。まだ柱の上部は残っているようです。
上部が無くなった橋脚には保護シートのようなものが被せられていました。全部を取り壊していないのはなぜでしょうか。もしかしたら今ある橋脚を再利用して新橋梁(下新庄高架化に伴う鉄橋)を建てる・・・のかもしれませんが、希望的観測としては無理があるかも。
下新庄寄りの橋脚はまだそのままでした。
このレンガ橋脚は後年のものでしょうか。吹田寄りの橋脚(写真1枚目)はコンクリートでした。
明治から平成まで多くの人を支え続けていた神崎川橋梁、今後を見守りたいと思います。
→周辺工事編 執筆中
渾身日:5月6日
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